観光百選

風景

上山公園は、元々、馬場で、はじめは縦馬場であったが後に廻り馬場になった。戦前は昭和17年招魂祭に競馬が行われたのが最後で、それから戦争が激しくなって競馬は途絶え、馬場の中はサツマイモ畑に変わった。敗戦後、暫くしてから復活し、以前の賑わいを取り戻したが時代の流れには逆らえず昭和29年をもって競馬は姿を消した。競馬は娯楽の少ない当時の田舎では唯一の楽しみで、村一番の人出で賑わった。新婚のお嫁さんは、嫁入りに持って来た一張羅の着物を着飾って参り、人々はお酒やご馳走を持ち寄り、露天商も並び、子供は小遣銭をもらい一日中鎮守の森は歓声にわいた。競馬が途絶えてから馬場は荒廃して昔日の面影はなくなった。その有様を上山老人会の人等、憂いて整備を行われたのが現在の公園の始まりである。公園は平成3年4月上山の人々が慈父の如く追慕していた医師 佐藤博先生の頌徳碑を建立したところ、ご遺族の方より公園の維持にと基金の提供を受け、これを契機に上山公園維持会を設立し、今日に至っている。
馬場の中に今も残っているコンクリートの馬の水飲み場を見るにつけ郷愁をおぼえます。疾走する馬の勇姿を再び見ることはできないと思います。先祖から綿々と受け継いで来た共同体の馬場(公園)を「動」から「静」の四季折々の美しい花の咲く、ゆったりとくつろげる「憩いの広場」として、かけがいのない故郷を残していきたいものです。

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自然

~地域の誇り 圧巻の桜~

美波羅川千本桜を広く桜愛好家に紹介したいと思います。
三次市の南玄関口、三和町の国道375号線を三次市街地方面に車で5分走ると、右下に大きく湾曲した河川と、広い田園地帯が開ける。その中で一段と大きく盛り上がったピンクの帯が弧を描きながら、世羅台地から流れ込み清らかな水に淡いピンクの花びらを添えて馬洗川へと旅立つ。
 三次市三和町敷名を縦断する美波羅川の延長は6.8km。美波羅川河川改修工事が平成元年に完成し、これの記念植樹としてソメイヨシノ1,000本が敷名地区住民の手より植樹されて25年が経過した。桜見学をされた方は「今が見頃、まさに圧巻ですね・・・」と感動の一言。

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~孔雀が翼を広げた壮大な姿~

 照円寺の本堂に向かって右手の斜面に沿って幾本もの枝を広げたクロマツ巨樹は、庭園木として見事に育てられています。その姿があたかも孔雀が翼を広げたように見えることから、先代住職の松茂道範氏によって「孔雀松」と命名されました。寛文2(1662)年この地に清光庵という堂が建設され、その当時に植樹されたとすれば、350年余り経過していることになり、専門家の推定樹齢とほぼ一致します。
 昭和52(1977)年に三次市天然記念物の指定を受けています。主幹は高さは5.26cmと高くはありませんが、その枝は地上から1mの高さで這うように四方に伸び、西方に11.9cm、本堂側へ11.2cm、南方へ9.7cmにも達し、枝が覆う面積は200㎡にも及んでいます。
 孔雀が翼を広げたような樹姿は、その雄大さにおいて県下に例をみないもので、孔雀松の名に恥じない風格と気品を備えています。美しい樹姿を維持するため「孔雀松を守る会」を結成し松の維持管理に努めています。

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文化・歴史

~地域で守り継ぐ伝統文化~

 信原田楽は三和町下板木信原地区において平安時代から行われていたといわれており、6月末頃、田植え休みに地区の庄屋さんが皆様方に感謝の意を表すため地区の人を招待して花田植を行った後もてなしをしたものといわれています。
 昭和の始めを境に途絶えていましたが、昭和61年に伝統文化を後世に伝承しなくてはということで保存会を発足して復活しました。以降、一時中断した時期もありましたが、現在では下板木コミュニティーが中心となり、地域の有志のみなさんが集まって、毎年5月の最終日曜日に下板木地区の圃場をお借りして開催しています。また、田植え牛も下板木地区の酪農家さん宅の牛が出場しており、地域を挙げての行事となっています。

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建造物

 お堂の習俗は、全国各地にありますが、安芸・備後の辻堂の習俗は、多くが三方または四方が吹き抜けで床板が張ってあり、誰でもが休んだり参拝できるのが特徴です。同様のお堂文化は中国地方、四国地方などに点在していますが、安芸・備後のお堂群は、もっとも沢山のお堂が現存し、もっとも密度の濃い地域の一つと考えられています。

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イベントカレンダー

交通アクセス

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