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観光百選

風景

のぞみが丘に入ると数本のエノキが県道脇に見えてきます。
このエノキは灰塚ダム建設時の水没間際に「樹齢四百年のエノキを水没させたくない」という住民の気持ちから移植することになりました。移植しても生き付く可能性はあまりありませんでしたが灰塚のシンボル的な大木を置き去りには出来ませんでした。移植時エノキを「えみき爺さん」と名付け一日がかりで移植しました。残念ながら老木は四年目には芽を出す事はありませんでした。
今はあのエノキの実から芽吹いた子ども達が移植された周りを取り囲んでいます。
移植日は平成17年7月23日

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文化・歴史

「三良坂の祇園さん」は,約300年前の江戸時代,当時の村の役人伊藤勘十郎によって現在地に勧請されたと伝えられ八坂神社の五穀豊穣・家内安全を祈る祭事として行われていたものです。
昭和30年代後半までは,明治時代後半に寄進された「おごれんさん」と呼ばれる山車を地域の子供たちが引っ張る「お旅行列」が行われていたが高度経済成長期の都市部への人口流出の影響で,お旅行列は行われなくなっていました。
昭和50年,「おごれんさん」を子供たちに引かせたいとの思いで,当時の三良坂商工会青年部が「第1回三良坂祇園祭」を開催し,再び地域の子供たちがおごれんさんを引くお旅行列も行われるようになった。
昭和52年からは土曜夜市も開催される現在のような祭りとなり,以降三良坂に夏を告げる「三良坂の祇園さん」として現在まで続きます。

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農耕の苦しみや楽しみ,収穫の喜びを表し,田の神に感謝を捧げるもので起源は鎌倉時代と言われます。明治時代には牛供養花田植えとして賑やかに催され,昭和35年に町の無形文化財に指定されました。
飾り牛の代かきにはじまり,男衆の笛や太鼓の囃子に合わせ,揃いの笠をかぶり絣の着物に身を包んだ早乙女たちが唄いながら田植えをする様は,まさに農業版時代絵巻です。後継者不足もあり,一時期休眠していましたが,平成9年に三良坂町郷土芸能保存会が結成され,子どもたちなどの手でしっかりと受け継がれています。

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建造物

明治15年に島根県の出雲大社(御祭神大国主大神)の御分霊を鎮祭。五穀豊穣、縁結び、交通安全などの祈願に、多くの参拝者が訪れる。

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江戸末期の民家。
19世紀後期の建築とみられ,母屋の現状は,ウチニワ,オモテ,デイ,ナンド,ダドコロの部屋を配しています。大谷地区に建築されたものですが,灰塚ダムにより水没するため,平成9年度に国土庁の「ふるさとC&C」モデル事業により灰塚のぞみが丘に移築・復元したものです。現在は,生涯学習施設として,昔の生活体験学習の場として活用を図っています。

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国重要文化財に指定されている江戸中期の民家。
入母屋作り・茅葺き,桁行6間半・梁間3間半の民家で,灰塚ダム建設にともない,平成12年に現地に移築された。内部は,入って左手に広い土間があり,右手は「おもて」「おおで」「かって」「なんど」が田の字型に配置されている。土間まわりから「かって」にかけて上屋柱が連立している点など,18世紀中期以前の古風な構造手法をもち,保存状態もよく,飾り気の少ない素朴な民家である。

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 お堂の習俗は、全国各地にありますが、安芸・備後の辻堂の習俗は、多くが三方または四方が吹き抜けで床板が張ってあり、誰でもが休んだり参拝できるのが特徴です。同様のお堂文化は中国地方、四国地方などに点在していますが、安芸・備後のお堂群は、もっとも沢山のお堂が現存し、もっとも密度の濃い地域の一つと考えられています。

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 のぞみが丘住宅地の北西,三方を小高い山に囲まれた山裾に,その一方を住宅地を望むかたちで,無縁の墓地があり,墓石の並ぶその奥に高さ2メートル程の細いステンレスポールが群立しています。
この地に眠る霊と天空とのバイパスのようにそびえたち,まるで光が天地を行き来しているかのような印象を与えます。
墓地の奥には,タラヨウの木が2本の木をたずさえて「のぞみが丘」を暖かく見守っています。

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イベントカレンダー

交通アクセス

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