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観光百選

風景

三次市廻神町の二本松にある牧場で、ジャージー牛を放牧。
二本松は戦後に開拓された地ですが、現在は水田に牧草を植えて一面が牧草地となっている。ジャージー牛は年中放牧され牧草のみで育つが、のんびりと牧草を食べている風景は、近くでは見られない癒しの景観。
ジャージー牛の子牛と触れ合う場もある。自然を満喫しのどかな風景を楽しむ。
また、ジャージー牛の牛乳は、濃厚でとってもおいしい。

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~江戸時代のロマンが湧く山~

 比叡尾山城の築城時期は不明ですが,この地方を支配した三吉氏が戦国時代末期に三次町の比熊山城に移るまで歴代の居城としていました。
 秋のある日に登山したとき,このような風景にであったのでシャッターを切りました。
 これぞ!八次の低い位置からの霧の海です。鉄塔のある山は,高谷山です。
 比叡尾山山頂までの道中,途中にこれは何だろうと考える洞穴などが数か所あり,江戸時代のロマンが湧くところです。登山道は,かなり整備されています。

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~花見に賑わう憩いの場所~

 岡城どんどろ公園は岡城自治会が整備を行ってきた公園です。地域の神社である「貴船神社」の境内にあります。同神社は江戸時代後期に記録された「三次郡上志和地村国郡志書上帳」にも記載されており、その歴史は300年以上もあり由緒ある神社です。
 どんどろ公園の名前の由来は、かつて、この地方で日照りが続き人々が困っていた時、この宮に集まり雨乞いの祈祷を行い、御神体の石を神社の井戸に沈めたところ、どんどろ(雷)が鳴って大雨が降ったというこの地方の言い伝えから名付けたものです。
 公園は地域の人々によって整備が行われ、植樹、案内看板の設置、草刈り、施肥、掃除などが行われています。
特に植樹された桜は満開の時期になるとその美しさは格別で夜にはライトアップされ夜桜も大変綺麗です。
また、この公園からは志和地・秋町方面の眺望がよく、花見の時期には自治会全員で花見を行うなど、地域の人々の憩いの場所となっています。

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自然

三次浅野藩の本家筋である広島藩浅野家が明治になって廃藩した頃、長治公の慙愧の念により山頂より現在地へ滑落したとの説がある。また三次町の古刹、照林坊が、その昔境内に抱えたと言われる巨石。

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 ~幻想的な光景を望む~

 秋から早春にかけて晴れた日の早朝,三次盆地は深い霧に包まれ,高い山から眺めると周囲の山々が海に浮かぶ島のように見えることから,“霧の海”と呼ばれ,雄大で幻想的な光景を見る事ができます。特に高谷山展望台は,朝日が昇る前からカメラを構えた人で賑わいます。

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文化・歴史

神杉大田植は、豊かな神杉の農村地帯で昔から行われていた大田植を後世に語り継ぎ、内外と交流し地域の活性化を図るため、神杉地区自治会連合会が神杉大田植実行委員会を立ち上げ、平成18年6月11日に最初の大田植を開催。
3頭の花牛の代掻きに始まり、サゲ衆の音頭のもと40人の早乙女が音頭に併せて田植えをする。花田植えと違って派手さはないが、昔の田植えを再現し、交流田植えでは小学校児童や地区内外のみなさんも田植えを体験し交流を図る。
田植え後は、体育館で「代みて行事」を行い、おむすびを食べながら演芸やお楽しみ抽選会で楽しんでいる。
平成20年の第3回目からは写真コンテストも開催し、県内はもとより県外からも多くの愛好家が来場。

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三次市廻神町の郷にあり、1504年頃に宮として創立されていたと思われ、その後1714年頃に再建された神社で、艮の方向に建てられている。
祭神は吉備津彦神・伊邪那岐神。
境内には稲荷神社・大仙神社・厳島神社がある。
この地には怪力廻神藤十郎の伝説があり、毎年秋季大祭にはこれに因んで力自慢の「俵かたぎ」の行事が行われている。

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浅野家の家臣、福田藤兵衛の墓所。浅野長治公が没して後、自身が死すまで10年この地に結んだ庵にて主君の菩提を弔ったと伝えられる。山本周五郎の「殉死」にも描かれる忠臣であった。

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江戸時代からの伝統工芸品。三次では子どもが産まれると三次人形を贈る風習がある。現在三次に唯一の三次人形窯元。

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江戸時代中期に三次を舞台として作られた妖怪物語で、主人公の稲生平太郎が30日間にわたって次々と現れる妖怪に立ち向かい、ついに退散させるという話。
平太郎本人が書いたとされる「三次実録物語」をはじめ、さまざまな古文書や絵巻などが今に伝わる。

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寛永年間に三次藩を立藩し、初代藩主として三次の発展に大きく寄与した浅野長治公の墓。忠臣蔵で有名な播磨赤穂藩主浅野長矩の正室・阿久利の父。官位は従五位下因幡守。比熊山城跡山麓の中腹に位置し、三次盆地を見渡すことができる。

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道の名称は,時代によって,出雲街道や石州街道,雲石街道,銀山街道など,色々な名称で呼ばれています。出雲街道は、古代から陰陽を結ぶ幹線で、万葉の歌人柿本人麻呂、毛利、尼子の軍勢も通った道で,後鳥羽上皇と後醍醐天皇がいずれも倒幕に失敗し隠岐島へ配流となった時に通ったとも言われています。
また,近世期には、大森銀山の運上銀や銅を運ぶルートとなっており,明治から大正期には、三次や赤名へ往還する荷車で賑わいました。
布野町内では町内を縦断する形で通っていて,市県国道に変わった部分もありますが,当時の面影を残している個所もいくつも現存しています。
そんな場所は,山々の風情や村里の佇まい、人々の生活,旅心が湧いてきます。いくつもの難所を苦労しながら行き来した当時の人々を想像しながら,のんびりとした歩き旅にぴったりのコースです。

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~祭祀に使用された神籠石~

 古くは比熊山の山頂にあり祭祀が行われる神聖な場所(神籠石・こうごいし)として使用されていたそうです。
しかし,大同3(808)年に太歳神社が創立されてからは,頂上での祭祀は廃止されました。
 中世になり,比叡尾山から比熊山に城を移した際には築城の礎石として使用されたようです。
 江戸時代,浅野長治の時代になり,浅野堤(旭堤)を築く際の石材として比熊山山頂から多くの石と一緒に転がし落とされました。
 その中に神籠石があることを知った長治公は堤防の石材には使用せず,清浄に取扱い住吉神社の西側に保存されました。
 その後,明治28年日清戦役の戦捷記念碑の台座に応用され,道路拡張工事のために太歳神社の境内に戻されました。
 現在は,「神石」と刻書して安置され大切に保存されています。
 一説には,比熊山の「たたり石」と兄弟石ともいわれています。



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~キリスト教伝道苦難を伝える灯ろう~

尾関山公園の麓、江の川のほとりに一基のキリシタン灯ろうがあります。
石材は赤御影石で、高さ78cm、幅24cm、厚さ20cmあり、灯りをともす火袋はなく竿石と傘石だけを残しています。
キリスト教は1549年にフランシスコザビエルが日本に初めて伝えて、急激に全国に広まりました。しかし徳川時代に入ると、キリスト教徒やその親族への監視はきびしく、公然とキリストを礼拝することはできなくなりました。
このような状況のもとで造られたキリシタン灯ろうでしたが、当時数基あったものが禁制にあい、江の川の大渦渕へ投げ捨てられたと言われます。しかし後にこの一基が発見され、現在はキリスト教伝道苦難の跡をしのばせ佇んでいます。

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~ 日本の伝統 鵜飼 ~

『鵜飼』は古事記や万葉集にも登場する日本の長い歴史を誇る伝統漁法です。
三次市では馬洗川で行われ、川面を照らす灯りのなか烏帽子に腰蓑装束の鵜匠が鵜を操る姿を遊覧船から楽しむことができます。

三次の鵜飼は約450年の歴史があるといわれ、戦国時代,毛利氏との戦に敗れた尼子軍の落武者が始めたとされており、後に三次藩主・浅野長治が改良を加え、現在の形に至ったといわれています。
次鵜飼の特長は、鵜匠が操る手綱が6・75mと全国で一番長く、また鵜匠が前船頭も兼ね、一度に8羽もの鵜を操ることができます。鵜が鮎を捕える瞬間を逃さず船の行く手にも留意する伝統技は、回遊式と呼ばれる鵜船と遊覧船が並走する方法で間近に見ることができます。
毎年6月から9月まで行われています。

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~赤穂義士の木像が安置された義士堂~

三次藩祖浅野長治が先祖代々の菩堤を弔うため,1633(寛永10)年に建立した鳳源寺の境内に義士堂はあります。
 義士堂には,赤穂藩亜種浅野内匠頭長矩,同正室の阿久利姫(後の瑤泉院)と三次藩祖浅野長治および四十七士の木像が安置されています。
 この義士堂の前には瑤泉院の石造もあり,秋の季節には紅葉と義士堂の美しさも来訪者を魅了しています。

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~地域の祭典が残る神社~

 芸備線上川立駅より三次方面に向かい300m右側山手にあり,もとは八幡宮権現社として明応3年(1492年)宮の段にて創建、数度の遷宮を経て元禄10年(1698年)下川立焼庭より現在地に遷宮され、その後明治初年、神仏分離令により太平神社と改名され現在に至っています。
明治40年「神饌幣帛料供進指定社」となりました。

御祭神は,
若一王子権現(にゃくいちおうじごんげん)・・・21代雄略天皇
祇園牛頭天皇(ぎおんごずてんのう)・・・須佐乃男命
八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)・・・15代応神天皇

 ご利益として五穀豊穣、家内安全、諸災消除、病気平癒、商売繁盛、交通安全などがあります。
太平神社には専属の「川立神楽団」と素人芝居の「はだし座」があり、秋祭りの前夜祭には神楽は毎年、芝居は隔年に上演されます。因みに平成25年は芝居と神楽が一緒に奉納されました。また、子供達の太鼓の胴打ちも盛んで、毎年50名以上が元気に神祇を奉納しています。

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~地域に残る横穴式古墳~

 芸備線上川立駅より三次方面に向かい300m右手山側の太平神社本殿より南東に約200mにある横穴式古墳で,5~6世紀と推定されています。
江の川右岸に安芸高田市より続く横穴式古墳群の一つで、古代の有力な豪族の墳墓と思われ、古くからこの一帯に集落が営まれ、数多くの人々が高い文化を持って生活していた証拠と考えられています。また、「三次風土記の丘」周辺に多数発見されている竪穴式の古墳群とは様式が明らかに異なり、古代よりこの周辺が異なる文化圏の接点であったものと考えられます。
 終戦後3回の調査においては、副葬品などの出土品が多数発見され、資料として保管されています。

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~地元住民に護られた八幡神社~

 元亀2年(1571),三谷郡辻村八幡社より当字幸利山に勧請しました。元禄15年,当所の甚平吉信が社用地600坪を寄進し,社殿を改築しました。近隣12村の民によって祀られ,境内に末社三字と本地堂があります。大正3年(1914),村内貴船神社ほか5社を合併し,昭和6年(1931)に神楽殿の改築が行われました。
 多くの神様を祀った神社として古くから地元住民が参拝してきました。春と秋に祭が行われ,特に9月の最終土日に行われる秋の大祭では,前夜祭に神楽があり,祭当日には御輿などの神事が行われ,多くの人で賑わいます。神社の清掃も地元の老人会が行い,地域に護られながら,今でもなくてはならない神社として多くの地元住民に親しまれています。

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~県内最大級の古墳~

 古墳時代中期の帆立貝式古墳で,全長67メートル,高さ約10メートル,2段式築成の円丘部の直径は約57メートルあります。古墳築造時には全体で100メートルを超す古墳であったことがわかり,東広島市西条町の三ツ城古墳(全長約84メートル)とともに,県内最大級の古墳でもあります。墳丘の状況は,斜面に河原石が散在していることから葺石と考えられ,埴輪も出土しています。須恵器を含まない等からこの古墳の造られた時期は,5世紀の前半と考えられています。
 南東方向に延びる造り出し部分は,長さ約10メートル,幅約17メートル,高さ約1.5メートルありましたが,水田拡張のためその大部分は削平されています。周囲に幅約20メートルの周濠がめぐらされており,現在も畦畔として保存されています

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~地域から親しまれる神社~

本殿は大正5年(1916)に再建されました。一間社入母屋造,向拝付,銅板葺の造りです。
創立年代は不詳ですが,宝暦2年(1752)に再造営した宝殿があります。この神社には10もの神様を祀っており,大田幸,小田幸,木乗,志幸,四カ村の守護神となっています。大正3年(1914)大仙神社に,大歳神社,滝神社,稲生神社,和多理神社,寄国神社,山野神社,穀神社を合併し,今の愛宕の地に遷座して社号を大滝神社と改めました。
毎年10月の第2日曜日に地域の祭が行われています。前夜祭では神楽などを行い,祭り当日にはその年に生まれた子どものお宮参りや,小学生による太鼓や巫女の舞が披露されます。祭りと共に大滝神社は地域に住む人にとって親しみのある場所となっています。

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建造物

神杉の地には日子穂々出見命「天降り伝説」があります。この日子穂々出見命が鎮座在す知波夜比古神社は三次市高杉町の段地区にあり、俗に二宮さんと呼ばれています。
この地は城主武田甲斐守(祝氏)が守った高杉城(別名杉山城・祝城ともいう)が神社とともにあった所です。
この城は当時では珍しく平城で、今でも周囲に土塁や堀が残っています。
高杉城は尼子方で川西の旗返山城の出城でしたが、天文22年に毛利方に攻められ、当時600人もの戦死者を出し、高杉城は陥落。この時神社も焼失しました。
毛利元就・隆元は神社を焼いたたたりを畏れ、清めに三原の沖より潮土を運ばせ土台に使用し神社を再建したと言われています。境内には厳島神社・伊勢神社・風王社や大仙社・金比羅社・祝社・荒神社があり、境内地は広島県史跡に,本殿は市の重要文化財に指定されています。

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三次盆地を東から見下ろす大眺望。東屋から徒歩5分に位置する岩屋寺は、天平年間に行基が岩屋の壁面に菩薩像を彫って信仰したのが始まりとされる由緒深い寺。

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瑤泉院とは、三次藩主浅野長治の娘として三次で育ち、忠臣蔵で有名な赤穂藩藩主、浅野長矩に嫁いだ阿久利姫のこと。赤穂義士の討ち入り後、亡くなるまで江戸で夫の菩提を弔っていたが、その遺髪が納められたと伝えられている。

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明治以降の歴史的な産業建築物を街並みと一体で保存していることが評価され、国登録有形文化財に登録の予定。2003年に蔵を閉めた後、2006年に地元住民が買い取り、敷地内でカフェなどを開業した。

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~日本で一番月が美しく見える美術館~

 ”元宋の赤”の代名詞で有名な、日本画の巨匠 奥田元宋と夫人の人形作家 奥田小由女夫妻の作品を収め、月と作品の一体感が味わえる”日本で一番月が美しく見える美術館”です。

 元宋の絵には、しばしば月が登場します。代表作の《待月》は、月と故郷三次の自然を描いた作品です。奥田元宋・小由女美術館はその幻想的な世界が再現されるような独特な設計となっています。
ロビーでは、東側の窓の外に広がる屋上庭園と、池の水面に光を落としながら夜空をわたる月を楽しめます。
 東の山からのぼり、夜空を渡る月をひとつの芸術作品に見立て、さらに満月の日の会館延長する全国初の試みなど、観月のためのサービス展開をしております。月の見せ方にこだわり、元宋の描く幻想的な月も、三次の夜空に浮かぶリアルな月も同時に楽しめる日本で一番月が美しく見える美術館です。

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イベント

神杉ふれあい祭りは、神杉地区の文化・芸能・生涯学習など、幼児から高齢者までのあらゆる分野の活動の成果を一堂に会し、人々がふれあい、地域が輝くまちづくりを推進するため、毎年11月の第1日曜日に神杉小学校体育館を中心に開催。
当日は、各種団体等のテント村のバザーや保育所園児・小学校児童・各種講座生等の作品展示、農産物品評会やよいとこ振興保存会等の芸能発表、福餅まきやお楽しみ抽選会など盛りだくさんの内容で地域住民挙って楽しい1日を過ごす。

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~鵜飼の始まりを告げる祭~

 6月から始まる鵜飼を前に,この年の鵜飼の安全と盛況を祈念した鵜ならし祭が毎年4月10日に行われています。
それぞれ鵜匠に連れられ,神事により祈祷します。そして神事が終わると,冬を越した鵜が始めて川に入ります。この時の鵜は,川に入るのを待ち望んでいたように元気よく川に入っていきます。
鵜飼シーズンの到来を感じさせる春の神事です。

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その他

芸備線や福塩線などで活躍し、1971年に引退。三次市が国鉄より借り受けて1972年より当地にて展示している貴重な産業遺産。「ハチロク」の愛称で親しまれている。

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イベントカレンダー

交通アクセス

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